イタリア旅行専門ブオナツアーズのミラノ基本情報と旅行ガイド・ファッション、デザイン、そしてビジネスの最先端を行くミラノをディープに楽しむヒントがいっぱい!

ミラノの基本情報と旅行ガイド

ミラノの基本情報

  • 名称:ミラノ|Comune di Milano
  • 所在地:イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県
  • 人口:1,301,394人(2009年)
  • 守護聖人:聖アンブロージョ(守護聖人の日:12月7日)
  • 郵便番号(CAP):20100
  • 電話市外局番:02

デザインとファッションの世界的中心・ミラノを愉しむ

ミラノはイタリア北部最大の都市で、ローマが政治の中心であるならばミラノはいわばイタリア経済の中心です。そしてビジネス拠点であるだけでなく、ミラノ・コレクションやサローネ(国際家具見本市)に代表されるようにファッションやデザインの世界的中心地であり、流行の発信地となっています。また、世界で最も格式の高いオペラの殿堂・スカラ座や、ACミランとインテルといった世界的な人気を誇るサッカークラブがあったりと、エンターテインメント面でも見どころがたくさんある街です。

ミラノへのアクセスと交通

飛行機でミラノへ

ミラノ・マルペンサ空港

ミラノには近郊に2つの国際空港、最大の規模を誇る「ミラノ・マルペンサ空港 Milano Malpensa」、市街地に最も近い「ミラノ・リナーテ空港 Milano-Linateがあります。日本からはアリタリア航空が東京成田〜マルペンサ空港間の直行便を運航しています。基本的に欧州外からの長距離便はマルペンサ空港発着になっていて、リナーテ空港は欧州内と国内線と住み分けができていますが、だからといって乗り継ぎをするために空港移動をする必要性はほとんどなく、マルペンサ空港からも多くの欧州内・国内のフライトが飛んでいます。わかりやすく言うと「乗り継ぎの便利な成田」といったところでしょうか。
マルペンサ空港〜市街地のアクセスは列車(私鉄ノルド線・マルペンサエクスプレス)かシャトルバス、タクシーが一般的です。列車の場合はマルペンサ空港駅から市内中心のカドルナ駅(中央駅ではないので注意)までノンストップのシャトル便が30分ごと、最速29分で運行しています。シャトルバスは複数の会社が運行していて、中央駅、リナーテ空港、ベルガモ(オリオ・アル・セリオ)空港などへの路線があります。
リナーテ空港へは鉄道路線が無いためシャトルバスかタクシー利用となります。

到着時間が遅くなる場合や公共交通機関の利用が不安な方には専用車送迎をオススメしています。

鉄道でミラノへ

ミラノ中央駅

ミラノはイタリアの中でもローマに並ぶ最大規模の街だけに、鉄道駅も市街地に多数存在しています。その中で利用者数・発着する列車の本数はもちろん、駅舎そのものも圧倒的な存在感を誇るのが「ミラノ中央駅 Milano Centrale」です。イタリアはおろか、ヨーロッパの中でも最も荘厳な雰囲気を持つ駅で、イタリアとヨーロッパの他の国を繋ぐ交通の要衝です。正面の建物の幅は200メートル、高さ72メートルで、24ある線路の上には全長341メートルにも及ぶ鋼鉄製アーケードが掛かっている。建築様式は様々な様式が混在していますが、ファシズムの時代に建築されたものとあって権力の象徴たる壮大なスケールの駅になっています。
2009年、長年に及ぶ大改装がほぼ終了し、切符売り場が1階から2階へ移動。ただし、まだソフトオープン段階とあって営業していない店舗や工事中の部分も多いので今後変更される箇所が少なからず出てくる見込みです。
地下鉄2線(緑)、3線(黄)の「チェントラーレ駅 Centrale」が地下にあり、駅前正面の広場(ドゥカ・ダオスタ広場 Piazza Duca d'Aosta)からは路面電車2・5・9・33が発着しているなど、多くの公共交通機関が利用可能です。

ミラノの市内交通

ミラノ市内を走るトラム(路面電車)

ミラノの市内交通は地下鉄(Metropolitana)、バス(Autobus)、トラム(Tram)、タクシー(Taxi)があります。

ミラノの地下鉄はATM(Azienda Trasporti Milanese)が運行する3系統があり、それぞれ1線(Linea 1 - 赤)、2線(Linea 2 - 緑)、3線(Linea 3 - 黄)と数字と色で分けられているので使いやすくなっています。中央駅(Centrale)には2線・3線、ドゥオーモ(Duomo)には1線・3線、カドルナ駅(Cadorna)には1線・2線など重要な駅には複数路線の駅があることが多いので非常に便利です。基本チケット(€1.00)は改札後75分間有効で、地下鉄は1回のみ有効でバスへの乗り継ぎは不可。チケット自体はバス・路面電車と共通で、地下鉄駅の窓口、自動販売機、タバッキなどで購入可能です。最近は自動販売機の性能が上がり、1日券や1週間券などいろいろなタイプのチケットが購入でき、ちゃんとおつりも出るのがうれしいところ。

ミラノの中心部にはバスと路面電車が大きな路線網を持っているので、地下鉄が走っていない地区や周りの景色を見ながら移動したいときに重宝します。停留所によっては次にくる便の番号や待ち時間なども表示されるので、それを見つつ路線図を見れば大体どこを通ってどこまで行くのかがわかります。路面電車は戦前から走る木製の車輛もあり、石畳の街を走るその姿はなんとなく哀愁漂う感じで一度乗ってみるのもオススメ。

タクシーは台数も多く利用しやすいですが、イタリアの他の都市と同様基本的に流しのタクシーはなく、「TAXI」の看板のあるスタンドで拾うことになります。車種はフィアットなどが多く、白い車体にTAXIの行灯と側面に登録番号が入っています。市内〜空港間は協定料金があるので定額制(市内〜リナーテ空港を除く)で、市内〜マルペンサ空港が€70.00、マルペンサ空港〜リナーテ空港が€85.00。

ミラノの見どころガイド

ドゥオーモ【Duomo】

ミラノのドゥオーモ

ミラノの象徴で、聖母マリアに献納された世界最大のゴシック様式建築で、1386年からおよそ500年の歳月をかけて完成したもの。135本の尖塔と聖人の像が立っていて、最も高い位置にこの聖堂のシンボル・聖母マリア(マドニーナ)が据えられていて、20世紀前半まではこのマドニーナの高さを超える建築物を建てることが禁止されていたそう。壁面には3200にもおよぶ彫刻の数々がちりばめられていて、一見の価値あり。第二次世界大戦中は市街地が激しい爆撃にさらされる中、歴史的建造物としてドゥオーモは攻撃対象から外されたものの、ドゥオーモ前広場に落ちた爆弾でファサード近辺に被害を受け、その痕跡は未だに残されています。
屋根部分は165段の階段を上がるか、エレベーターで登る事ができ、晴れた日にはミラノ市街地からスイス国境方面の山々が一望できます。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア【Galleria Vittorio Emanuele II】

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア

ドゥオーモ前広場のすぐ北側、ガラスと鋼鉄の屋根で覆われている十字のアーケード。ジュゼッペ・メンゴーニによって設計され、1877年に完成したものです。部分的にみるとあまり意識しませんが、実は建物と中心の広場は全て八角形で構成されています。ミラノ中心部で最も賑やかな繁華街で、建築学・都市計画的に見ても、近代ショッピングモールの発展の礎とも呼べる貴重なものです。現在はプラダ(本店)、グッチ、ルイ・ヴィトンなどのファッション・アクセサリー関係のブランドショップやカフェ、レストラン、マクドナルド、CD店などいろいろな店舗があるのでウィンドショッピングだけでも楽しいところ。ガレリアの中ではありませんが、並びにはイタリア全土に展開している百貨店のリナシェンテ(Rinascente)もあります。

ブレラ絵画館【Pinacoteca di Brera】

ブレラ絵画館収蔵・アンドレア・マンテーニャの「死せるキリスト」 ブレラ絵画館

ブランドショップの並ぶモンテナポレオーネからほど近いブレラ通りにある絵画館(美術館)で、14世紀以降のロンバルディア派、ヴェネツィア派の主にイタリア絵画を中心に展示しています。特にアンドレア・マンテーニャの「死せるキリスト」やジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ」、ラファエロの「聖母の婚礼」などが有名です。ここを絵画館として整備したのは実はかのナポレオンで、入口からすぐの中庭にはすぐ彼の銅像(カノーヴァ作)が目に飛び込んできます。中には絵画館の他に修復工房や美術学校などもあります。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会【Chiesa di Santa Maria delle Grazie】

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐 L'Ultima Cena / Cenacolo Vinciano」 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は世界で最も有名な絵画のひとつ、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐 L'Ultima Cena / Cenacolo Vinciano」があるカトリック教会と修道院跡。ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァの命で1469年に完成した教会とドミニコ会修道院で、「最後の晩餐」はフランチェスコの次男、ルドヴィゴ・スフォルツァの命によりダ・ヴィンチが修道院の食堂の壁に描いたものです。
ヨハネによる福音書13章21節の、「汝らの中のひとりが私を裏切る」とキリストが述べた瞬間の一瞬が切り取られていて、キリストと使徒たちのそれぞれのリアクションが詳細に描き込まれています。この壁画をある一点から見ると絵画の中の壁や天井と実際の壁や天井の線が繋がり、さらに奥行きを感じさせるという高度な技が用いられています(一点透視図法)。この作品はふつう壁画で用いられるフレスコ画ではなく、キャンバスや木材などで用いられるテンペラ画をで描かれているため保存には向いていない上に、湿気の多い食堂であったことなども災いしてダ・ヴィンチ存命中から既に劣化が始まっていたとのこと。さらに17世紀の洪水や、16世紀〜19世紀に行われた未完の技法による修復、果てはナポレオン統治時代には馬小屋にされてしまうなど、なんとも不遇な扱いをされてきてしまった上、第二次世界大戦の爆撃でこの壁以外が爆撃で教会が全壊してしまうという目を覆うような惨状の歴史でした。爆撃の際は修道士たちが土嚢を積んでいたのでたまたまこの壁だけが崩壊を逃れるという奇跡を起こしています。
1977年から1999年に掛けてようやく最新の技法による修復が行われ、それまでの加筆部分の削除や洗浄によってオリジナルに近い色彩を取り戻すことに成功しました。現在は厳重な入場人数のコントロールや適切な温度・湿度調節によって劣化を最小限に食い止める努力が続けられています。

スカラ座【Teatro alla Scala】

ミラノのスカラ座

イタリアにおけるオペラ・歌劇の最高峰とされる劇場。現在のスカラ座は2代目で1778年に「公国立スカラ新劇場 Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala」としてオープンしたもので、貴族や富裕層の社交場として花開き、現在もその伝統と格式の高さは失われることなく守られています。。シーズンは伝統的に12月7日(ミラノの守護聖人の日)からとされ、翌年の秋までを1シーズンとして数々のオペラやバレエ、オーケストラのコンサートなどの公演が催されます。2002年から2年をかけて大規模な改修工事が行われ、音響や舞台装置のレベルが格段に向上しました。座席にはモニターが設置されていて、公演中に台詞や歌詞を英語やイタリア語で読む事ができるのでより深くオペラを楽しむことができるようになりました。
演目や出演者によって料金に幅があり、初演や有名歌手の公演等はチケットの入手が困難なことも。また、特に良い座席ではそれなりにレベルの高いドレスコードが存在するので注意が必要です。

スフォルツェスコ城【Castello Sfrozesco】

スフォルツェスコ城

ドゥオーモの北西、ダンテ通り(Via Dante)の北端にあるスフォルツァ家の居城。もともとはヴィスコンティ家のもので、スフォルツァ家がミラノの覇権を握った後に居城兼要塞として利用していたものです。現在では内部に美術館がいくつかあり、そのひとつ古美術博物館(Musei d'Arte Antica)にはミケランジェロ最後の作品にして未完の彫刻「ロンダニーニのピエタ Pietà Rondanini」が展示されています。城の裏手はセンピオーネ公園(Parco Sempione)で、広大な敷地が広がっていて芝生でデートするカップルやランニングする人の姿も多いですが、夜間はひと気がなくなるので、夜の一人での散歩などは避けたいところです。

モンテナポレオーネ【Montenapoleone】

モンテナポレオーネ

モンテナポレオーネはミラノを代表するショッピングエリアでファッション好きなら憧れの聖地的存在。地下鉄3線(黄)のモンテナポレオーネ駅で降りて地上へ上がると、ちょうどモンテナポレオーネ通り(Via Montenapoleone)とマンゾーニ通り(Via Manzoni)が交差する地点で、ここから歩いてショップ巡りをするのが便利。またモンテナポレオーネ通りと並走するスピーガ通り(Via Spiga)やその2つをつなぐサンタンドレア通り(Via Sant'Andrea)などにもたくさんのショップがあります。アルマーニのコンセプトストアをはじめ、プラダ、グッチ、ドルチェ&ガッバーナなどイタリアを代表するブランドのショップが軒を連ねていて、その他にもデザイン家具の店や小さな雑貨屋、セレクトショップまでバラエティも豊富。

スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(サンシーロ)【Stadio Giuseppe Meazza/San Siro】

スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(サンシーロ)

市街地の西にあるサッカー専用スタジアムで、ACミランとインテル・ミラノが本拠地として使用しています。1925年建造・8万人収容可能の巨大スタジアムで、1990年のFIFAワールドカップイタリア大会に併せて改築され屋根が設置されましたが、日光と風を遮ってしまったため、芝の状態があまり良くないことでも有名。「ジュゼッペ・メアッツァ」はミラン、インテル両チームに在籍した名選手ジュゼッペ・メアッツァから。しかし、メアッツァはキャリアの殆どをインテルで過ごし、ミランは2シーズンのみの在籍だったことからミラニスタ(ミランのファン)からは「サンシーロ」と呼ばれることのほうが多くなっています。サンシーロは改称前の名称で、かつこの地域の名称。スタジアムの向かいにはミラノ大賞典などが行われるサンシーロ競馬場があります。
内部はバックスタンドを除いて3階層になっていて、支柱なども無くどの席種からもよくピッチ全体を見渡すことができます。試合日以外にはスタジアムツアーも催行されていて、ロッカールームやピッチサイドなどを見学することが可能です。ミランとインテルの歴史を綴った博物館もあります。

ミラノのオススメホテル

ミラノのオススメホテルについては「イタリア・ホテル予約&ガイド:ミラノ」をご参照ください。

ミラノの歴史

ナポレオンのミラノ入城

街の起源は紀元前600年頃のケルト人の街「メディオラヌム」で、その後ローマ帝国時代を通じてこの名で呼ばれていました。その意味は「真ん中」で、ロンバルディアの平野の中心にあったことから名がついたものとされています。4世紀には西ローマ帝国の首都となったものの、その後は様々な勢力による攻撃と復興の繰り返しがの歴史が続いていくことに。フン族やゴート族の侵入を許し、都市はその都度大きなダメージ負いつつもその度に復興を成し遂げ、11世紀には宗教的なしがらみから脱却を図った貴族たちの手によって神聖ローマ帝国からの独立を果たしました。しかしそれもつかの間の1162年、神聖ローマ帝国の攻撃を受け、それを契機として周辺都市とロンバルディア同盟を結成し、神聖ローマ帝国フリードリヒ1世を撃退することに成功。それ以降のいわゆる中世の時代にはヴィスコンティ家とスフォルツァ家による公国として比較的平和な時代を迎えることになりました。 1535年、スフォルツァ家に継承者が途絶えると再びミラノは他国の支配の時代を迎え、スペイン、ハプスブルク家(オーストリア)、そして1796年にやってきたナポレオン、1815年に再びハプスブルク家と目まぐるしく時の支配者が変わる時期が続きます。最終的にハプスブルク家支配下のミラノ(当時はロンバルド・ヴェネト王国)はイタリアの独立運動の中心地となり、1859年にはイタリア統一の旗手となったサルデーニャ王国がミラノを解放、1861年にはイタリア王国に編入されました。イタリア王国内の一都市となってからは特に工業・経済の中心的な役割を担う都市として発展しましたが、そのせいもあって第二次世界大戦では連合国軍の激しい爆撃を受けることになり、都心部の建築物の43%が破壊されました。

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