イタリア旅行専門ブオナツアーズのローマ基本情報と旅行ガイド・永遠の都ローマを100%愉しむためのヒントがここに!

ローマの基本情報と旅行ガイド

ピンチョの丘から望むローマ市街地

ローマの基本情報

  • 名称:ローマ|Comune di Roma
  • 成立時期:紀元前753年4月21日(伝説に基づく)
  • 所在地:イタリア共和国ラツィオ州ローマ県(州都・県都)
  • 人口:約272万人
  • 守護聖人:聖ピエトロと聖パオロ(守護聖人の日:6月29日)
  • 郵便番号(CAP):00118 - 00199
  • 電話市外局番:06

全ての道はローマへ通ず!

ローマはイタリア共和国の首都であり、その歴史は約3000年にも及ぶ世界有数の大都市。ローマ帝国の中心として栄えたのちは幾度も発展と衰退を繰り返しますが、その歴史と街の魅力は失われること無く現代に伝えています。「永遠の都」と呼ばれ、世界中の旅行者の憧れであり続けています。

ローマへのアクセスと交通

飛行機でローマへ

ローマ・フィウミチーノ空港

ローマにはイタリア国内最大の国際空港である「ローマ・フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ空港とも) Roma Fiumicino」と「ローマ・チャンピーノ空港 Roma Ciampino」の2つの空港があります。日本からの直行便も含め、ほとんどの国際線と国内線のフライトが発着するのはフィウミチーノ空港。日本からはアリタリア航空が東京成田と大阪関西から直行便を運航していて、フライト数も多いので日本からの旅行者にとっては一番馴染み深い空港です。
空港〜市街地のアクセスは列車(テルミニ駅直行のシャトル列車「レオナルド・エクスプレス」、ティブルティーナ駅行き普通列車など)かタクシー(40ユーロの均一協定運賃)が一般的です。

一方、チャンピーノ空港はLCC(格安航空会社)を中心にヨーロッパ内のフライトが多く飛んでいる空港で、フィウミチーノよりも市街地に近くにあります。空港〜市街地のアクセスがあまり良くなく、COTRAL社のシャトルバスを地下鉄A線Anagnina駅から利用するか、テルミニ駅からFrascati方面へのローカル線を使い、チャンピーノ(Ciampino)駅で下車して駅前からバスを使う、などの方法があります(タクシーを使うのが一番手っ取り早い気もしますが)

鉄道でローマへ

ローマ・テルミニ駅

ローマ市街地には多くの鉄道駅が存在しますが、その中でも最大のターミナル駅が「ローマ・テルミニ駅 Stazione Roma Termini」です。「テルミニ」の名称は駅前にある遺跡「ディオクレティアヌス帝のテルメ」から(諸説あり)。映画「終着駅 (1953年アメリカ・イタリア)」や「アマルフィ〜女神の報酬(2009年日本)」などにも登場しているのでお馴染みの駅です。1日に48万人近くの利用者数があり、朝から夜まで常に混雑しています。現在運用中のプラットホームは地上階の29線(!)で、中心に近いエリアは赤く表示されAlta Velocita'(アルタ・ヴェロチタ:ユーロスター・イタリアの1種で、日中の運行の中では最速の列車)専用になっています。2000年には聖年に合わせた大改装、2009年には発着表示板のLCD化や案内アナウンスの改良が行われ、より便利になりました。駅の地下には広大な地下ショッピングモールがあり、深夜まで営業するスーパーや薬局、本屋、タバコ屋からメガネ屋、雑貨屋、携帯電話ショップなど何でも揃っているので便利です(ただし、大体のものが外の店で買うよりも割高だったりします)。
地下鉄(A線・B線)の駅が地下にあり、テルミニ駅を中心にこの2路線が×字に運行しています。

ローマの市内交通

ローマのバス

ローマの市内交通は地下鉄(Metropolitana)、バス(Autobus)、トラム(Tram)、タクシー(Taxi)があります。

ローマの市街地中心部の範囲はさほど広くはないものの、高低差が結構あるのでバスは非常に重宝します。全路線ではないものの24時間運行している区間も多く、地下鉄がなくなってしまう時間などは特に便利。そもそも地下鉄が2路線しかないので、バスしか公共交通機関が無い場所も多くあります。テルミニ駅前のPiazza dei Cinquecento(ピアッツァ・デイ・チンクエチェント=500人広場)が最大のバスターミナルで、ATAC(ローマ市交通局)の各方面行きバスが発着しています。運行路線別に主要停留所の書かれたボードが掲げられているので、それとバスに表示された番号と行き先を確認して乗り込みましょう。チケットは前もってタバッキ、売店、ATAC窓口などで購入してバス車内で検札機に通すこと(乗り換えの場合は不要、有効時間内で1回改札すればOK)。基本のチケット(BIT: Biglietto Integrato a Tempo)は1枚1ユーロで、75分間有効。地下鉄とも共通券ではあるものの、バスから地下鉄への乗り継ぎは不可(地下鉄からバスはOK)。その他1日券(BIG: Biglietto Integrato Giornaliero)4ユーロなどもあり。無賃乗車やチケットの検札をしていない場合は容赦なく罰金の対象になるので注意してください。

ローマの地下鉄(メトロポリターナ)

地下鉄は現在2路線が運行中で、赤地に白でMのマークがあるところが地下鉄の駅。A線(Anagnina-Battistini間・ラインカラーは赤)、B線(Laurentina-Rebibbia間・ラインカラーは青)の2路線が運行していて、現在C線の工事が進んでいます。特に利用価値が高いのはA線のSan Giovanni-Ottaviano間とB線のTermini-Circo Massimo間ですが、この区間は終日大混雑する上に、スリなどが多い区間でもあるので十分注意して利用しましょう。また、駅は薄暗くて車両は落書きだらけという従来のローマ地下鉄のイメージを払拭すべく、新車両の導入や駅の改装工事が積極的に行われています。

タクシーは台数も多く、ドライバーの質もかなり向上したので以前よりもずっと安全な乗り物になったといえます。基本的に流しのタクシーは存在せず、オレンジ色の「TAXI」の看板のあるスタンドで拾うことになります。車種はフィアット・ムルティプラなどが多く、白い車体にTAXIの行灯と側面に登録番号が入っています。料金の交渉を持ちかけてくるドライバーが稀にいますが、相場やイタリア語がわからない場合は避けた方が無難。普通にスタンドで止まっているドライバーに声をかけましょう。

ローマの見どころガイド

バチカン博物館(バチカン市国)【Musei Vaticani】

バチカン博物館・システィーナ礼拝堂の「最後の審判」

バチカン美術館はバチカン市国東部の広大な面積を占める、複数の美術館の集合体で、その規模は世界最大級。古代ローマ・ギリシャの彫刻、エジプト美術、エトルリア美術、時代を通じてのキリスト教美術をはじめとする貴重な芸術品の数々が展示されています。元々は教皇のプライベートコレクションの展示スペースだったために、それぞれの展示へのアクセスに多少の難があり、また1年を通じて非常に混雑するため全てを見て周るには多大な労力と時間が必要ですが、十分にそれを掛ける価値はあるものばかり。順路の総延長約7キロ、総面積42,000平方メートルにも及ぶ館内を是非じっくりとご覧ください。
入り口は大聖堂側ではなく、リゾルジメント広場にほど近い城壁北側。地下鉄A線のオッタヴィアーノ駅(Ottaviano)かチプロ・ムゼイ・ヴァティカーニ駅(Cipro Musei Vaticani)が最寄りですが、入場の列がリゾルジメント広場側に出来ることが多いのでそうなると最後尾はオッタヴィアーノ駅のほうが近め。並ばずに効率よく見ることができる半日ツアーがオススメです。

バチカン博物館・これだけは見逃せない!必見ガイド

  • エジプト美術館:グレゴリウス16世によって1839年創設。紀元前2000年ごろの王の頭部彫刻など古代エジプトを中心に展示
  • ピオ・クレメンティーノ美術館:クレメンス14世とピウス6世のコレクション。彫刻「ラオコーン」はここにある。古代彫刻の名品が並ぶベルヴェデーレの中庭を含む。
  • ラファエッロの間:ユリウス2世がラファエッロに自らの居室に描かせたフレスコ画が4室ある
  • システィーナ礼拝堂:教皇選出選挙(コンクラーヴェ)の行われる神聖な場所。ミケランジェロの傑作「最後の審判」はここの天井
  • バチカン図書館:蔵書は100万冊に及び、聖書などの貴重な古写本やグーテンベルク聖書などのインキュナブラ(初期刊本)を多数所蔵する。
  • 絵画館:20世紀創設の新しい間。フランスに持ち去られたものを再び奪還したものが多く、メインはルネサンス期のキリスト教宗教画

サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)【Basilica di San Pietro】

サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)

ローマ市街北西部、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山で、世界最大級の教会建築物です。現在見られる大聖堂は2代目にあたり、正面のクーポラ(ドーム型屋根)はミケランジェロの設計で、全体ではラファエロ、ドメニコ・フォンターナ、ジャコモ・デッラ・ポルタ、カルロ・マデルノらが設計に携わっています。聖堂前広場はジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計です。
ファサード(正面装飾)には8本の円柱と欄干、9つののバルコニー、そして最上部に11使徒の像が配置されています。内部は幅42~150メートル、奥行きが220メートルもあり、最大で60,000人以上を収容できる。内部空間そのものが必見ですが、それ以上に数々の芸術品も見逃せません。ミケランジェロの「ピエタ Pieta(1499年)」、ベルニーニ「ウルバヌス8世の墓碑」、「アレクサンドル7世の墓碑」、「クレメンティーナ礼拝堂」、ドメニキーノ作のモザイク画「聖セバスティアヌスの殉教」、など列挙できないほどの傑作がここに集められています。

アクセスはバチカン博物館と同じく、地下鉄利用ならばA線のオッタヴィアーノ駅が最寄。ただ、この方法だと城壁沿いに歩いてサン・ピエトロ広場に直接アクセスするような形になるので、正面にサン・ピエトロ大聖堂を見ながら徐々に近づいていくならバス40番で終点のピアッツァ・ピア(Piazza Pia)まで行くのがオススメ。サンタンジェロ城の横にあるこのバス停から、まっすぐ延びるコンチアリアツィオーネ通りを歩くと正面にサン・ピエトロ大聖堂のクーポラとファサードが見えます。ちなみにこのコンチリアツィオーネ通りは1929年、ローマ教皇庁とムッソリーニ政権下のイタリア王国政府の間で調印されたラテラーノ条約(イタリアとバチカンと和解=コンチリアツィオーネ)の合意事項の一環として造られたもの。サン・ピエトロ大聖堂と広場が遠くからよりダイナミックに見えるように設計されているので、そこも見どころのひとつ。

コロッセオ【Colosseo】

コロッセオ

ローマといえば真っ先にこれをイメージするほど有名な、巨大円形闘技場遺跡・コロッセオ。西暦75年に皇帝ウェスパシアヌスによって建設が開始され、わずか5年で完成させました。この場所はローマの大火(西暦64年)後に建設されたネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の敷地内の池があった場所で、すぐ傍にネロ帝のブロンズ像(コロッスス)があったことから「コロッセオ」と呼称されるようになったとされています。ただし、正式名称はフラヴィウス朝の治世時代に完成したことから、「フラヴィウス闘技場 Amphitheatrum Flavium」といいます。長径188メートル、短径156メートルの楕円型をしていて、外壁の高さは48メートル。内部には48,000 人~50,000人を収容することができ、日差しを防ぐため布製の屋根まで設置されていて、皇帝席を含む貴賓席は常に日が当たらないように設計がされるなど緻密な計算と高度な技術を用いて設計されています。闘技場では剣闘士の決闘や猛獣ショーなどが催され、果てはプールのようにして模擬海戦まで開催されました。こういったイベントは市民の人気を博しましたが、3世紀~4世紀にかけて相次いだ大火や地震によって建物そのものが大きなダメージを受け、523年にはついに「劇場」としての役割を終え、ついに廃墟と化しました。その後は長年に渡って格好の建築資材の山として扱われることになり、大理石がふんだんに使われていた外壁をはじめ、多くの資材が持ち去られてしまうことになってしまいました。現在見られるような姿で、辛うじて原型を留めていた1749年にようやくローマ教皇ベネディクトゥス14世によってコロッセオが神聖であると宣言されたことにより保護されることになったのです。

アクセスは地下鉄B線コロッセオ駅(Colosseo)下車すぐ。改札(1ヶ所のみ)を出ると本当にまっ正面にコロッセオがあるので、ちょっと驚くかもしれません。

フォロ・ロマーノ【Foro Romano】

フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノはかつて共和制ローマにおける政治、商業、生活の中心地であった場所の遺跡群を総称した一帯のこと。「フォロ Foro」とは広場の意で、紀元前6世紀ごろにテヴェレ川沿いの湿地帯・沼地であったこの土地を墓地として利用していたのが始まりとされています。非常に水はけの悪い場所であったものの、紀元前6世紀中にはタルクィニウスによって排水溝「クロアーカ・マキシマ Cloaca Maxima」が整備され、広場や建造物が都市計画に沿って設置されていきました。共和制ローマ初期にはローマ元老院議事堂や数多くの神殿が建築され、ここがまさに「ローマの中心」として機能していました。共和制後期の紀元前44年にはカエサルによる大改修が行われ、現在みられるフォロ・ロマーノの遺跡はこの頃のものが多くなっています。帝政ローマ期、中世以降はもはやただの空き地と同様の扱いを受け、果てはコロッセオと同じような扱いを受けてしまうことに。19世紀になってようやく考古学的価値が見出され、発掘と保存がはじめられました。

入場券はコロッセオと共通で、入口はコロッセオ側とカンピドーリオ広場側の2ヶ所。特にチケットチェック等は行われないことがほとんど。アクセスはコロッセオと同じで、地下鉄B線コロッセオ駅下車すぐ。

カラカラ浴場【Terme di Caracalla】

カラカラ浴場

212年から216年にかけてローマ皇帝カラカラによって建設された公衆浴場の遺跡。当時のローマ市民にとっての憩いの場で、娯楽性の高いレジャー施設のようなものだったようです。内部には「フリギダリウム(冷室)」と「カルダリウム(温室)」の2つの温度の違う浴場と更衣室、さらには「パラエストラ」と呼ばれるトレーニング施設まで備わっていて、全て左右対称になるよう設計されていました。温水は地下に引かれた水を石炭の燃焼によって加熱するシステムを採用しており、これはなんと19世紀まで一般的となる手法だったというから驚き。現在では本館の遺構と床面に残るモザイクのみが当時の栄華を伝えているにとどまっていますが、近年では夏の間野外オペラが開催されており、夕暮れの遺跡で幻想的な雰囲気を醸し出すまさにうってつけの舞台装置になっています。

アクセスは地下鉄B線チルコ・マッシモ駅(Circo Massimo)下車徒歩5〜10分ほど。

サンタンジェロ城【Castel Sant'Angelo】

サンタンジェロ城

サンピエトロ広場から西に伸びる大通り、コンチリアツィオーネ通り(Via della Conciliazione)をまっすぐ行き突き当たりのテヴェレ川沿いにそびえるレンガ色の円形の要塞がサンタンジェロ城。ローマ帝国第14代皇帝ハドリアヌスが135年に自らの霊廟として建造に着手したもので、彼の死後の翌年に完成しました。上から見ると正円形をしており、14世紀以降は歴代教皇の緊急避難所や牢獄として使用されることになり、1527年の神聖ローマ帝国軍によるローマ略奪の際、時の教皇クレメンス7世はここに篭城することで生き延びました。この「聖天使城」という名は、590年にローマでペストが大流行した際に大天使ミカエルがこの城に降臨し、ペスト流行の終焉を告げたという伝承によるもの。城の前に掛かる橋、「サンタンジェロ橋 Ponte Sant'Angelo」は城と同時に作られたもので、欄干に建つ天使像のうち2体はジャン・ロレンツォ・ベルニーニによるもの。

アクセスはバスが便利で、テルミニ駅からの急行バス40番でヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り(Corso Vittorio Emanuele II)がテヴェレ川とぶつかる周辺で下車すると、天使像の立つ橋を渡って城へたどり着くことができます。

パンテオン【Pantheon】

パンテオン

現存する古代ローマ時代の建築物の中で最も完全なオリジナルに近い形で残っていて、全ての神々に捧げられた神殿。約2000年もの間この場所でこの街の移り変わりを見つめてきました。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの側近であり、多くの公共施設を建設したアグリッパが初代パンテオンを建造したものの、西暦80年の大火で消失。現存する2代目パンテオンはハドリアヌス帝が118年から10年の歳月を費やし再建したものです。総石造り建築で、上部には「M·AGRIPPA·L·F·COS·TERTIVM·FECIT (マルクス・アグリッパ、ルキウスの息子、3度目の執政官任期中に是を建設)」とアグリッパに敬意を表した刻印を施されています。
内部は前室・本殿のみのシンプルな構造になっていますが、本殿の天井クーポラが最大の特徴。直径・高さ共に43.4メートルという設計からも当時の建築学のレベルの高さが伺えますが、これはその1000年以上後の建築であるあのサンピエトロ大聖堂のクーポラよりも巨大。総石造りのためこの重量を分散し支えるために無数のアーチが埋め込まれているため3.5から6メートル(高さによって厚みが違う)の厚みを持っています。また、クーポラ頂上には直径9メートルの穴が空けられており、時間帯に寄っては差し込む光線が神秘的。現在ではイタリア王国~共和国時代を通じての国家功労者を祀る場所となっていて、イタリア王国初代国王にして統一の父、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世やラファエッロ・サンティ、ウンベルト1世などがここに眠っています。

ボルゲーゼ美術館【Galleria Borghese】

ボルゲーゼ美術館

枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの夏の別荘として建てられた邸宅がそのまま美術館となった、イタリアでの有数のコレクションを誇る美術館。展示品の殆どはローマ教皇(パウルス5世)も輩出した名門であるボルゲーゼ家のコレクション。主な収蔵品として、ジャンニ・ロレンツォ・ベルニーニ作「アポロンとダフネ Apollo e Dafne(第3室)」、「プルートとプロセルピーナ Pluto e Proserpina(第4室)」、「ダヴィデ Davide(第2室)」、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作「馬丁の聖母 Madonna dei Palafrenei(第8室)」、「果物籠と青年 Ragazzo con il cesto di frutta(第8室)」、ラファエッロ・サンティ作「キリスト降架 Transporto del Cristo(第9室)」、「一角獣を抱く貴婦人 Dama con l'unicorno(第9室)」、他ティツィアーノ・ヴェチェッリオやドメニキーノの作品群などは必見です。
収蔵品の中には19世紀にイタリアへ進軍したナポレオン・ボナパルトによってパリへ持ち去られ、ルーヴル美術館にそのまま寄贈されてしまったものも。1902年にイタリア政府がボルゲーゼ家よりこの別荘と美術品を全て買い取り、貴重な収蔵品が一般に公開されるようになりました。

カンピドーリオ広場【Piazza Campidoglio】

カンピドーリオ広場

カンピドーリオの丘はローマ7つの丘のひとつで、かつてはカピトリーニと呼称されていた場所。有史以前から人の居住していた形跡があり、ローマ帝国時代は政治・経済の中心地の一部だったものの、その後他の建造物と同じように忘れ去られてしまった場所のひとつです。
現在見られる広場はミケランジェロが設計したもので、限られた土地で遠近法を用い奥行きを見せる斬新な手法で広場を作り上げました。床面には幾何学模様の敷石がなされ、イタリア発行の50チェンティージミ硬貨に描かれているように非常に美しい空間として知られています。広場の正面に立つ建物はローマ市庁舎で、左右に立つ建物が1471年開館、世界初の一般公開された美術館であるカピトリーニ美術館(Musei Capitolini)。左側が新宮殿(Palazzo Nuovo)、右側がコンセルヴァトーリ宮殿(Palazzo dei Conservatori-Clementino)。新宮殿には広場中心にあるマルクス・アウレリウスの騎馬像のオリジナルや「瀕死のガリア人 Galata Morente」、「カピトリーノのヴィーナス Venere Capitolina」など必見の彫刻が多数あります。新宮殿とコンセルヴァトーリ宮殿は地下通路で結ばれていて、その通路からはフォロ・ロマーノが一望できるようになっています。実はこの通路、元はといえば紀元前78年に建設された公文書館の跡地。

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)【Chiesa di Santa Maria in Cosmedin】

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)

テヴェレ川とチルコ・マッシモの間に位置する、周囲の中ではひときわ高い鐘楼を持つ教会。建設は6世紀ごろで、もともとは周辺のギリシャ系住民のために建てられた教会。幾度か改修工事が行われ、現在ではほぼオリジナルに近い形に再改修されているとのこと。教会内部は至って簡素かつ普通ですが、メインの見どころは実は教会の外。それはあの有名な「真実の口 Bocca della Verità」で、日々観光客が自分の正直さを証明する為に、映画「ローマの休日」のグレゴリー・ペックがそうしたように口に手を入れる光景がみられます。元々はクロアーカ・マキシマ(大下水道)のマンホールの蓋だとか、井戸の蓋であるとか諸説あるものの、さて。(現在はマンホール説が有力)。

ナヴォーナ広場【Piazza Navona】

ナヴォーナ広場

ローマを代表する広場のひとつで、賑わいのある活気ある広場。楕円形の特徴的な形状をしていて、これは元々この広場が競技場であったことの名残。1世紀にドミティアヌス帝が南北275メートル、東西106メートルの競技場「キルクス・アゴナリス Circus Agonalis」が起源で、3万人もの観客を収容できたとされています。1477年にシクトゥス4世がカンピドーリオ広場にあった市場をここに移転させ、再び活気に満ちた広場となりました。 広場には3つの噴水があり、北からネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno 1878年)、中心には巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによる4大河川の噴水(Fontana dei Quattro Fiumi 1651年)、そして南にムーア人の噴水(Fontana del Moro 1654年)と配置されています。特に「4大河川の噴水」はベルニーニの彫刻の代表作とされ、ナイル、ラプラタ、ドナウ、ガンジスの4大河川を擬人化したもので、中央にそびえ立つオベリスクは81年ごろの制作で競技場跡から移設したもの。また、その前に立つ「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会 Sant'Agnese in Agone」は教皇インノケンティウス10世が1652年にジローラモ・ライナルディとフランチェスコ・ボッロミーニに依頼して建設させた教会。ちなみに、良く知られた話として4大河川の噴水のラプラタ像の顔に布が被せられているのは、当時ボッロミーニとライバル関係にあったベルニーニが、そのラプラタ像の目の前に立つサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会を「見るに耐えない教会だ」として意図的に制作した、と言われていましたが実はこれ、都市伝説のようなものとのこと。
年末~年始時期にはベファーナの市「Fiera della Befana」と呼ばれるクリスマス・マーケットが開かれるので是非この時期に行かれる方は足を運んでみては。イタリアではサンタクロースよりもベファーナという黒装束のお婆さんがクリスマスの主役。クリスマス飾りやプレゼービオ、カルボーネというその名の通り木炭そっくりな麩菓子のような黒いお菓子など、イタリアのクリスマスならではのお買い物が楽しめます。

トレヴィの泉【Fontana di Trevi】

トレヴィの泉

トリトーネ通りから入り組んだ路地を進むと突如として現れる、あまりにも有名な空間。周りを建物に囲まれているのでここだけが異空間のように感じるかもしれません。「ローマをもう一度訪れたいならば、後ろ向きにコインを1枚投げよ」という言い伝えを実践すべく、世界中からローマへ集まった旅行者が必ず訪れる場所。ポーリ宮殿(Palazzo Poli)の壁一面を利用して彫刻が施されていて、中央に水を司るローマ神話の海神ネプチューン(ネプトゥヌス)と、左に豊饒の女神ケレス(もしくはギリシャ神話の神デメテル)、右に健康の女神サルース(もしくはヒュギエイア)が配置されていて、その下から水が湧き出しているという造りになってます。この泉そのものの歴史は古く、紀元前19年に古代ローマ皇帝アウグストゥスの命により建設され、ヴェルジネ水道の末端施設として機能したもの。1623年に教皇ウルバヌス8世がジャン・ロレンツォ・ベルニーニに彫刻の制作を依頼、ようやく完成するものと思われた矢先両者とも没してしまいあえなく計画は頓挫。最終的に、1730年に開催された設計コンペで優勝したローマ出身の建築家ニコラ・サルヴィの手により1762年にようやく完成。しかし、サルヴィはその完成を見ることなく1751年に没しています。

サンタ・マリア・マッジョーレ教会【Basilica di Santa Maria Maggiore】

サンタ・マリア・マッジョーレ教会

テルミニ駅から南西へ徒歩5分、その名の通り聖母マリアに捧げられた教会で、ローマ4大聖堂のひとつ。西暦365年にローマ教皇リベリウスが夢に見た聖母マリアのお告げに基づき、元々古代キュベレ神の神殿があった場所に創建したという言い伝えが残っています。現在見る事ができる聖堂は教皇シクトゥス3世が命じて建設させたものが基礎となっていて、その後数百年にわたって増改築が行われました。その為13世紀のモザイク、15世紀ロマネスク様式の鐘楼、18世紀のファサードなど各々の時代即した手法やスタイルが折衷しているのも特徴のひとつ。内部には礼拝堂が幾つかあり、シクストクス5世やピウス5世の墓があり見事な装飾が施されたシスティーナ礼拝堂やその対面ボルゲーゼ礼拝堂などは一見の価値あり。ラテラーノ条約によりバチカン市国の管轄下にあり、イタリア政府により治外法権が保証されています。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂【Monumento a Vittorio Emanuele II】

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

ヴェネツィア広場正面、フォロ・ロマーノなど古代ローマ遺跡群を背に建つ白亜の堂がヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。別称「ヴィットリアーノ Vittoriano」。サルデーニャ王国最後の王にして、イタリア王国初代国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世によるイタリア統一を記念して建設されたもの。ジュゼッペ・サッコーニによって1895年に着工、1911年に完成したもので当時はいたくその外観デザインの評判が悪かったという。というのも、フォロ・ロマーノやカンピドーリオ広場を背後にする建物にしては異様に白く、巨大であり雰囲気にそぐわないということから。中央の騎馬像はヴィットリオ・エマヌエーレ2世本人、その真下に「ローマの像」、脇に「労働の勝利」、「祖国愛」の像がそれぞれ置かれていて、最上部の柱廊にはイタリア各州の諸聖人の像が並んでいます。2006年からは上部の展望台が公開され、エレベータもあるので容易に上がることができるようになりました(有料)。

スペイン広場【Piazza Spagna】

スペイン広場 スペイン広場

ローマを代表する広場のひとつで、映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがココでジェラートを食べるシーンはあまりにも有名。広場に接して、丘の上に建つトリニタ・ディ・モンティ教会へ続く大階段があり、フランチェスコ・デ・サンクティスの設計で1725年に完成したもので、毎日多くの旅行者で埋め尽くされています。広場の中心にある噴水はジャン・ロレンツォ・ベルニーニによるもの。「スペイン広場」の名前の由来は近くにスペイン大使館があることから。
この広場からまっすぐ西へ伸びるコンドッティ通り(Via Condotti)はローマを代表するショッピングストリートで、ブルガリ本店を始めとするブランドショップが軒を連ねています。

アクセスは地下鉄A線スパーニャ駅(Spagna)下車で、駅の真上が広場になっています。ホームから地上階へのエスカレーターは1ヶ所ですが、地上階もトンネルをすこし歩く必要があります。まっすぐ人の流れに乗って外に出るとスペイン広場、途中トンネル内で右折してエスカレーターでさらに上がる出口から出るとボルゲーゼ公園内のピンチョの丘へ続く道に出ます。

ローマのオススメホテル

ローマのオススメホテルについては「イタリア・ホテル予約&ガイド:ローマ」をご参照ください。

ローマの歴史

イタリア半島の中西部に位置していて、約25キロ南西のティレニア海に注ぐテヴェレ川が街の中心を流れています。伝説によると、ローマの街は紀元前753年に狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスにより建設されたとされていて、「ローマ」の名前はその後王政ローマ初代王となったロムルスに由来しています。

当初、街はテヴェレ川の東岸に位置するパラティーノの丘(現在のフォロ・ロマーノやチルコ・マッシモ周辺)に建設されたとされていて、その後ローマの7つの丘に囲まれる地域が都市として発展していきました。7つの丘とは、パラティーノ(Palatino)、アヴェンティーノ(Aventino)、カピトリーノ(Capitolino、カンピドーリオCampidoglioとも)、クイリナーレ(Quirinale)、ヴィミナーレ(Viminale)、エスクイリーノ(Esquilino)、チェリオ(Celio)の7つを指し、現在もローマの市街地はこの7つの丘の範囲にすっぽり収まっています。

ローマ帝国が紀元前27年に成立し、皇帝アウグストゥスの時代には人口が100万人を超えて、395年までの約400年間は政治・経済・文化の全ての面で名実ともに世界最大の都市として君臨。326年には聖ペトロの墓所が現在のバチカン市国に建設されたことで、カトリックの聖地としても発展していくこととなりました。

ローマ帝国分裂後はゲルマン人の支配や疫病の蔓延など幾多の苦難に見舞われますが、15世紀ごろにはルネッサンスの中心として著名な芸術家や建築家が教皇領ローマに集まるようになり、ミケランジェロやラファエロなどが芸術面でその手腕を発揮していました。16世紀にはローマ教皇シクトゥス5世により都市の近代化が図られ、さらに17世紀にはバロック様式が全盛を迎えるとともに、現在ローマの中心部でよく見られるベルニーニやボッロミーニの彫刻や建築物で街は彩られていきました。

1861年にそれまで諸外国の勢力下に置かれていたイタリア半島の都市の殆どが独立を果たしイタリア王国が成立(首都はフィレンツェ)、1871年には教皇領ローマもイタリア王国に併合され、この時をもってローマはイタリア王国の首都となり現在に至っています。

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